餃子にまつわる神秘的なできごと
日本でギョウザといえばパリッと焼き餃子だけど、中国ではギョウザ=水餃子です。
週末のわが家は、また夫作のギョウザを楽しみました。普段はわたしが台所に立つ割合が多いですが、ギョウザとなればもちろん夫が担当。(本場ですから)
これまで彼の料理の発想に触れてきたことで、わたしは毎日の料理がずいぶん楽しいことになりました。自由に作るって楽しいです。
さて、餃子といえば、年末にとても神秘的なというか、不思議なことがありました。
元々、中国では年末に家族で餃子を食べる習慣があったりするのですが、私たちは気にせずいつものノリで、作って食べていました。
食べながら、
中国(夫の実家)の話になって、
「おじいちゃん、元気かな?」
「今頃なにしてるかな?」
なんて話していたんですね。
そうしたら、その翌日に連絡が入って、おじいちゃんが昨晩亡くなった。と。
当時はバタバタして何も深く考えてなかったけど、
一連の行事を終えて夫が日本に帰国したあと詳しく聞いてみると
ちょうど私たち家族が、ギョウザを食べながら話していた時刻と、おじいちゃんが息を引き取った時刻が(時差を含んでも)ぴったりで。
それを聞いたときなんだか、ゾクゾク!としたし、
少し温かい気持ちにもなった。
中国の餃子にまつわる文化は諸説色々あるけれど、その中に
「人を送り出す(お別れする)時に、みんなで餃子を作って食べる」
というモノがあるんです。
夫の実家もいつもそうしていて、
私たちが帰国した時は必ず最後の日あたりに餃子をご馳走してくれていました。
何も知らずだったけど、
おじいちゃんとの「別れ」を餃子で送り出せていたこと。
最後の瞬間に、側には居られなかったけど、
あの時、家族みんなでおじいちゃんのことを想っていたこと。
「餃子」を通じて、どこかで繋がれていたような気がすること。
とても悲しい出来事だったけど、それを思うと、温かな気持ちになりました。
ちなみに、日本では餃子はご飯のお供だけど、あちらでは「麺」扱い。主食として食べるので、餃子の日は食卓は餃子オンリーです^_^
これまで、あまりブログに書いたことがなかったけど、
わが家レシピや、餃子や中国カルチャーのこと
これを機会に記事にしてみるのもいいかもな。と思っているところです。ご興味ある方はお楽しみに。
気づけば中国文化も歴10年だ。
子ども用に割れない食器が本当に必要か。
うっかりと手が滑って、娘のお茶碗を豪快に割ってしまいました。
これは、夏に関東に行ったとき、工房で絵付けを体験させてもらった娘デザインのオリジナル。
気に入っていたので、我がミスながらかなりのショック…娘にも平謝りです。
でも彼女は結構あっさりしていて「謝ってくれたからもういいよ。」だって。大人じゃん!(涙)
夫がカケラを拾いにきて、「モノはいつか壊れる。そんなもんや。」とひと言。
娘もそのフレーズに同意してあっさり終了。
私だけが、茶碗への喪失感を拭えぬままでいます。わが家でモノに一番執着があるのは、やっぱり私ですね。
割れた茶碗を眺めていたら、そういえば子供用の食器のことで感じていたことがあったのを思い出しました。
子ども用の割れない食器類に疑問
プラスチックやメラミンの割れないお皿を子どもが使っているのをよく見かけますよね。子供用=プラが当たり前みたいな雰囲気。
なぜなんだろう?
割れたら危ないから?軽いからかな?
よく、イヤイヤ期でお皿を投げ飛ばしてる子もいますね。
投げたり落としたりするから、割れるし危ない?
いや私は逆やと思ってて、軽いし、投げれるし、割れへんってわかってるから投げたりするんやと思うんです。子どもって大人が思ってるより賢いしよく見てるから。
食器は割れることを知ったほうが自然
子供が使う食器も陶器でいいし、目の前で割れたらいい。
投げたら割れるし、落としても割れる。
気をつけて触らないとないと血が出る。
それを見て初めて、丁寧に扱わなあかんモノ。と子どもは認識するんだと思うから。
そうやってモノの扱い方や力加減を学ぶんだと思うから。
外食するとそういうお皿がよくでてくるのは、割られると困る店側の都合というか、リスク回避なだけであって、
子供おるから、プラスチックやメラミン製を使わなあかん。っていうのはなんか思い込みじゃないかなと。
むやみに増やさないために。
子ども用に。とすぐにアイテムを増やすのではなく、まずは大人と同じものでいい。試して難しそうなら、そこで初めて新しく増やすことを検討する。
わが家では、これからも大切にしていきたい、方針のひとつです。
グレゴリーのコインケースを買い替え。使い心地を徹底比較!
コンパクト財布が2代目になりました。
グレゴリーのコインケースに鍵をつけて、現金少しと普段使うカードだけを入れて、コンパクト化&忘れ物防止スタイルにしています。
▶︎ミニマリストのお財布公開!ちゃんと必要なモノだけ持ち歩いてる? - すみれの壺
このブログでも、何度か紹介してきましたが、かなり長い間(10年くらい?)使っていたので、さすがにクタクタになり。。。
同じグレゴリーのコインケースで買い替え
まだ使えはするのですが、見た目の問題もありアップデートすることに。
いざ買い替えとなると、前のを長く使いすぎて愛着があるから同じものがほしい。
しかし残念なことに、全く同じものは廃盤で、しばらくフリマアプリやネットで探してみたのですが、状態が良いものや気に入った色柄が見つからない。
結局、同じグレゴリーの違うデザインにすることに。好きだったブルーの花柄ももう無いみたいで、今度はピンクの花柄(ガーデンタペストリー)に。
アウトドアブランドは、使い心地や耐久性が好みなのですが、女性が持つとどうしても、雰囲気が馴染みにくいというか、いかにもそれっぽくなる。
そんな悩みを、花柄はいい感じにしてくれるなぁ。
と思っています。
買い替え前と使い心地を比較
さて、1ヶ月ほど経ちますが、前のと比べた使い心地はというと、
良いところもあるし、使いにくくなったこともある。もちろんね。
先代より使いやすいポイント2つ!
①外側ポケットがある
外側ポケットにピタパを入れてます。外側なので磁気の反応が良いです。
あとは、すぐに使うチケットや駐車券、レシートなんかをちょっと入れておくのに便利になりました。
②ちょっとだけサイズ大きめ
中は2層に分かれていて、片方にカードとお札。片方に小銭をいれてます。
前のよりサイズが少し大きいので、カード類は多めに収納可。お札も2つ折りで入ります。
以前より使いにくいところ
×小銭が出しにくい
ファスナーが2辺しか開かないデザインのため、奥に入った小銭が少し取り出しにくくなりました。一目で小銭の在庫がわかりにくい。
解決策としては、カードが多めに入るので、電子マネーを積極的に使う方向に。
現状、小銭で払う機会は以前よりも減っていってるで、ヨシとしようかな。というところです。
グレゴリーのコインワレット、柄の配置がひとつひとつ違うんですよね。それも好きなところのひとつです。ブランドロゴは私の使っているものからは変わって現在はリニューアルしています!
グレゴリーのコインケース関連記事
2017年のテーマ「真面目」の本当の意味
2017年の一字は「真」
毎年マイ漢字一字を考えだして10年くらい経ちます。
昨年からはこのブログにも書きました。
遅ばせながら、昨年を振り返ると当時は新しく自分で何か始めようとしていたから「学」だった。
その後予定は大きく変わったのですが、仕事をやめて時間の余裕ができたぶん、今まで疑問に思ったり突き詰めて調べたいと思いつつも、ついつい後回しにしていたことなど、
そういうことに、深く入って色々考えたり知ることができた。だから結果的には「学」が多かった1年でした。
今年は「真」をテーマにします。年末の記事でも少し書いていましたが、最近「真面目」がお気に入り。
きっかけは「真面目」の由来を知ったことからでした。
真面目の由来
一般的に意味を調べると
1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「真面目な顔」「真面目に話をする」
2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「真面目な人柄」「真面目に暮らす」
とでてきます。
日本語での「真面目」の使われ方は、ルールや規則を守ったり、物事に真剣に取り組んでる。とか、
私もこれまでそういう固いイメージを持って使っていました。
でも中国語では同じ「真面目」と書いても、使われ方が違う。どちらかというと、「本質的な」というイメージで使われているんです。
そこで由来を調べてみたら、
真面目は(しんめんもく、しんめんぼく)と読み、中国の漢詩に
「柳は緑、花は紅、真面目」という詩があって
意訳すると「柳には柳の色、花には花の色があり、それぞれがそれぞれの個性や役割を発揮している」という感じ。
みんな違う、それぞれ個性があってそれでいい。
そういう意味合いなんですね。
今までの「真面目」という言葉とはガラッとイメージが違う。
そんなこんなで、気になる単語というか、真面目という言葉が最近すごく好きになりました。
2017年は真面目の「真」
- 自分に真っ直ぐ。いつもありのままであること。
- 自分を作り上げてしまわないこと。
2017年の私は、そういう部分を大事にしながら「真面目」にいきたい。そう思っているところです。
あとは、写真を整理したい「真」。
ま、これは後付け、おまけですが。笑
1月も半分があっという間に終わりましたね。とは言っても、まだまだ始まったばかりの2017。
1年を通じてテーマにする言葉があると迷ったときや、不安な時にいつも支えてくれる存在になります。
皆さんも是非考えてみてくださいね。
レッグウォーマーを活用して冬用靴下を持たない暮らし
もともと寒がりなワタシですが、薄着でも大丈夫になりました。
以前は、何枚も重ね着してモコモコで外出したり、足元は家ではルームシューズや分厚い靴下を履いたり、冬用にウールやアクリルの靴下をたくさん持っていましたが、
レッグウォーマーを活用するようになり、冬場に手持ちの靴下の数を増やさずに過ごせています。
冬用靴下を減らしたい理由。
冬用の靴下たちって結構嵩張るんですよねー。冬しか出番ないのに。
しかも、もっともっと暖かいやつを…!と常に探し求めては買ってしまう。
在庫はどんどん増えていくのに、使ってるのは結局、いつも選抜の2.3枚で。。
それで結局使ってないやつは、勿体無くて処分できないし、いつかもっと寒い時用の為に。。なーんて、これぞ捨てられない人の黄金パターンな考えだったワケです。笑
もっと寒い時なんか、いつ来ましたよ?って当時を振り返ると思わずツッコミたくなります。
もうひとつ、分厚い靴下は履ける靴が限定されてしまうので、面倒でした。靴を履くたびに、ルームソックスを玄関で脱いだりまた履いたりするのは、ちょっとしたストレス。
子育てしてると、お出かけ以外でも、家事の合間にちょっと外に出るってこと増えるんですよね。
面倒で、そのまま無理矢理履くとパンパンで余計にストレスが。
レッグウォーマーを活用して解決
代わりに活躍しているのがレッグウォーマー
普段は、ワイドパンツや長めのスカートを履くのが定番なので、中はレギンスとレッグウォーマーというスタイル。
足は靴下1枚だけで寒そうに思いますが、じつは足首を温めると、足先まであたたかい。
血管の太いところを温めると、身体を効率よく温かくできるとよく聞きますが、
今さらその通りだなぁ。と感心しているところです。
あとは冷え過ぎ防止に足指を動かすことを意識。
▶︎ヨガインストラクター直伝:かかとの減らない美しい歩き方 - すみれの壺
この時教えてもらってから、足指を積極的に動かすようになりました。
レッグウォーマーだと、靴を履くときに影響もなくスムーズです。
お散歩くらいなら、足首からチラッと見えてるのも可愛いし、家に帰ってもそのままです。(ちなみにブーツは履かないので主にスニーカーです)
薄着を心がけると行動しやすくなる
薄着といえば、今冬もベストを活用しています。
▶︎冬のワードローブに加わった手編みのベスト - すみれの壺
背中と胸があったかいだけで、十分温かいし、着込み過ぎるより、身体を動かしやすいので、お気に入り。アウターもスッキリしたデザインを着られるので気分も軽やかです。
寒がりな方は、モコモコで動きにくい→動かなくなる→余計寒くなる。の悪循環が起きてるかもしれない。ちょっと減らして必要な部分だけを意識してみると、
気持ちも見た目もスッキリして解決するかもしれません。
日本は週末からまた更に寒くなる様子。皆さま体調管理にはお気をつけくださいませ。
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ブログを休んでから再開するまでの気持ち
ブログを再開して、10日ほど経ちました。
以前よりも自分らしく自由にかけているのでは。そんな気がしています。
今日はお休みしていた期間の心境や変化のこと。
写真はお休み中、沖縄での1枚
楽しく書けなくなっていた
シンプルな暮らしやモノが少ない暮らしはしているけれど、
それについて、なんだか楽しく書けなくなっていた自分がいたのです。
なんというか、感覚的なもので表現が難しいのですが、ナチュラルに文章にできないというか、作り上げてしまう感。
おそらく、あたらしい気づきがあったり、自分自身が心を動かされている瞬間がないと楽しくは書けないということでしょうね。
なぜか昔から極端に完璧主義(自分の中での完璧)なところがあって、同じ書いているなら役立つ内容を充実させたい。だとか、もっと見やすく、もっと読みやすく。だとか、気が付けば、どんどん読者の目線にこだわってる。そういうのは接客業を長年やってきた職業病なのかな。
「ミニマリスト」「シンプルライフ」というカテゴライズされる窮屈感も出てきていました。
自分が残していたいもの、表現したいものと、
感覚的に求められているものや、情報として文章。
その狭間に落ちてしまっていたという感じ。
過去記事への違和感
もともと、昔の自分を振り返って懐かしんだりするのが好きな方ではなく、どっちかっていうと、次にくることを考えてワクワクしながら生きるのが好みなので、
1年以上経った記事があることに違和感というか、自分で見ないんだからいらないんじゃん?とめちゃくちゃ記事を断捨離してしまいたい衝動に駆られたり。
そこで一旦、消したいものは消しました。
超マニアックに「すみれの壺」を見ている方は、お気づきの方もいるかもしれませんが、「すみれごはん」の記事はほとんど消しました。
食べたごはんがずっと残っていることに違和感がでてきたから。(レシピの記事は健在です)
やっぱり毎日のごはんは作っては消え作っては消えていく・・そういう存在なのがいい。
昔の自分がやけにポジティブで腹が立つ
春以降、家族のことで色々あり、心境・考え方の変化が大きくあった。
今振り返ると、少々無理をして「青野すみれ」をやっていた時期あったなー。って思います。
そんなややこしい自分をクリアにするために時間が必要だった。
しばらくお休みしたらなんか変わるんじゃない?そう思って休んだ一か月後、
書き始めたけど、あれ?まだ何か違うなって。
ぜんぜん1ヶ月では足りなかったみたいで・・
大切にしていきたい「文章」
しばらくブログをお休みしていて気づかせていただいたことは、
嬉しいことに、わたしの綴る「文章」をまた読みたいと言ってくれる方がいるということでした。何度かそういうお言葉をいただき、内容や出来栄えにこだわらず気ままに書いていいやん。そう思えました。
もちろん、少ないモノで暮らすスタイルはこれからも変わらないので、それにまつわることも書きますね。
なんてことないこと内容でも、
好きな文章だから、わかりやすいし、好きな文章に書いていたことだから印象にのこる。
学生の時に、好きな人が何をやっても、かっこよく素敵にみえたみたいに。
しばらくはそんなイメージを胸に更新できればと思います。
いつも読んでくださりありがとうございます。
壊れた洗濯ハンガーの寿命をちょっと延ばしてみた話。
洗濯物干しで使っている、プラスチック製ハンガー。劣化してきて、パキッといっちゃいました。寒い時期によくこうなる。
毎日お世話になるモノが、こうして目の前で寿命を迎えてしまうのは、何だか切ない気持ちというか、ついつい新しいのを買い足して安心したくなりますね。
でも我が家のハンガーはというと、少しずつ個数が減ってきてますが、今は慌てて買い足さず様子見です。
わたしにとっての家事の心地さは、便利なモノを沢山持つことではなく、
管理がラクになるものを選んだり、
そもそも使わない選択をすること。
今度買い足す時には、少し丈夫で長くつかえるステンレス製のものにしようか。。それとも、手持ちの洋服が減った分、ハンガーの余りがあるので、洗濯用にこだわって増やす必要もなくないか…と自分会議中。
関連記事▶【クローゼット公開】少ないからできる合理的な服の管理 - すみれの壺
壊れたハンガーを活用して子どものおもちゃに
いつもなら、「ありがとう、さらばじゃ」と潔くゴミ袋に葬るのですが、
今回は何となく、「まだ、僕使えますよ」というハンガーからの訴えが見えた気がして、
折れたハンガーを眺めること、数秒…
片方は洗濯バサミに、
もう片方は、
なんかの形に似てるな…
「あ、弓やな」
そう思って、壊れたハンガーを持って弓矢を構えるポーズをとると、娘に大うけ。
さっそく奪っていったので、しばらくおもちゃになってサヨナラやな。なーんて思ってたら、
ふと見ると、紙で矢を作ってた。
いいねー。その創作欲。
と嬉しくなったので、ならばと大人の知恵で、ちょっと本格化。
ゴムをかけて、
紙製の矢も竹串やピンチで補強してみした。
立派な?おもちゃになりました。
めっちゃとびますよ。
しかも、このハンガー乾きをよくするために肩部分が伸びるタイプだったんです。
これを伸ばすのが、強くなるイメージみたいで嬉しいらしい。なんかわかる気がする^_^
話題のおもちゃや、可愛いグッズをを買って増やすより、やっぱりこういう遊びのほうがしっくりきます。なにより子供の反応が違いますもん。
多用途な視点でモノの命を使い切る
少ないモノで暮らしていると、
多用途に使える視点が、自然と肥えてきたなぁ。と感じています。今回の出来事もそのひとつ。
ひとつのモノが、それ以外でも活用できそうにみえてくる。笑
周りからみれば、ちょっと貧乏くさいことなのかもしれないけれど、
わたしにとっては、そのアイデアが増えてくことが、とても楽しいし、なくても大丈夫か…。と気楽で構えず暮らしていられる秘訣になっています。
カタチを変えて最後の最後まで使ってみる。モノの命を使い切る。という考え方をこれからも大切にしていきたい。その背中を我が子にも見ていてほしいと思います。
増えてもいい無駄と減らすべき「無駄」の違い
ベランダに出るとツーンと刺すような寒さ。普段は比較的過ごしやすい、わたしが暮らす大阪も今朝は氷点下を記録していました。
こんなに寒いと、何もしたくなくなりますね。
そんな日に限って仕事初めです。。
今年はボチボチと新しいことが始動する予定。1年前からずっとそんなことを言っている気がしますが…
引きこもりがちだった苦手な冬
昔から冬がとても苦手で、
ずっと憂鬱な季節でした。これじゃあ嫌だと思い立ち、冬に何かやりたいこと作っちゃえ!それで20代に始めたのがスノーボード。
元々、アウトドア系は好きだったので、
これならいけるかもしれない。そんな流れを期待して。
当時はまったくの初心者にもかかわらず、板やウエア、小物を一式ババーンと買揃えまして、いわゆる「カタチから入る」ってやつをやりました。
ちょっと上手な友だちが、毎週通うのに付き合ってくれたおかげもあって楽しくなり、それ以来は冬を待ちわびるようになりました。
見事に冬嫌いを克服したという訳です。
それを思い出すと、大きな買い物をする(モノを増やす)いうことは、決して身軽な暮らしの足を引っ張る要素だけではなかったな。と思います。自分にとって正しい増やし方をすれば、行動力の後押しをすることができる。
それが、一見「無駄」に見えるものから生まれる、人生の楽しみや彩りということになっていく。
無駄は増えていい
シンプルに暮らすことを意識しすぎると、
減らして、減らして、減らし続けていると、どうしても「無駄」なことに敏感になってきて排除したい体質になる。
「無駄」がどんどん目について、削ぎ落としたくなる。
自分は今そんな傾向にあると感じています。
けど無駄には種類があって、
- ①無い方が楽になれる無駄 と
- ②増やせば、楽しくなれる無駄。
どちらも人それぞれの環境や価値観によって違ってくる。
他人や周りの意見で判断していると、いつのまにか①が増えてしまうけど、
自分をよく観察しながら向き合っていけば、②を増やせていける。
わたしは2017年、この②を増やしてく1年にしたいと思っています。
もちろん、まだまだ①を減らしながら。
冷蔵庫・冷凍庫の活用ばなし
今朝は1週間ぶりの生活ゴミの回収日でした。
ニオイと害虫対策で作夏に生ゴミを冷凍する習慣をはじめてから、
冬になった今も、継続しています。
夏ほどではないけれど、冬場でも置いておくとゴミバコ周辺の腐敗臭がちょっと気になったりする。
そんなストレスが、ほんとなくなりました。
特に年末年始は一週間以上放置になるので、その効果を感じずにはいられない。
生ゴミ冷凍には引き出しの一部を活用しています。
関連記事▶︎夏の害虫を減らせました。
冷凍庫や冷蔵庫をこうして活用できるようになったのは、
詰まりがちだった庫内をスッキリ余白を持って使えるよう習慣になったから。
年末年始後、買い出し前なので、わりとスッキリ。
最近では、スペースがあるので、空の容器や調味料もほとんどを庫内で管理するスタイルになりつつあります。
冷蔵の中段に佇むのは、気に入って食べている
- クコの実酢
- 自家製カレールー
- ゆず
娘がホットゆずを飲むのにハマっています。(しぶいな…笑)
関連記事▶︎クコの実酢にハマってます。ヨーグルトにいれると美味。
カレールーは、少し前から自家製を練習中。きっかけはこちらの本。
こちらの中にある、白崎裕子さんのカレールーレシピを参考に、手作りを繰り返し、我が家好みのカレールーを研究中です。
市販より優しい味で、量が調整しやすいから、他の料理に活用もしやすく便利。
徐々に慣れてくると、スキマ時間に作れるし、混ぜるだけなので、子どものクッキングやりたい欲も満たせます。
まだまだ研究中なので、我が家レシピができたら、またブログ記事にも紹介できればと思います。
さて、今日から普段の家事、暮らしがスタートするといった感じ。
夫も今夜帰ってくる予定です。
お正月料理続いたので、定番夕飯が恋しいタイミングですよね~。今夜のメニューは、このカレールーを使ってカレーにすることにしました。
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年賀状を減らしつつ思うこと。
新年三ヶ日があっという間に終わりましたね。
昨日まで、ほとんど流れがなかったベランダからの風景も、今日から徐々にスピード感がでていました。
仕事初めの人たち、、まだまだお正月気分の人たち、、、空気がミックスして面白かった。
さて、お正月といえば年賀状。
そういえば、どこかのニュースで目にしましたが日本人がお正月に、もうやめてもいい。と思っていることの堂々第1位が「年賀状」でした。
前回(2015年末)のわが家は、ミニマム化する方向で、
数を減らし、SNSと併用したり、発送も来た方に「返事を書く」スタイルにしてみました。
▶︎年賀状のやりとりをやめたい。とりあえずやめてみること2つ - すみれの壺
今回(2016末)はというと、
初めてスマホの無料アプリで作ってみました。
スマホにある写真を使ってデザインやカスタマイズできたので、ほんとにコンパクト。
今まで、年賀状といえばパソコンひらいて、プリンター使って…というイメージが強く刷り込まれていたので、え?これだけ?という感じで済んでしまいました。
スマホで年賀状の料金は?
料金は?というと、
一枚100円ほどで作れました。
高いか安いかはそれぞれ捉え方があるかと思いますが
わたしは枚数が減ったぶん、予算的にはまったく問題なし。仕上がりも十分でした。
作った画像をSNSにシェア可能なのも嬉しかったし。
利用はしませんでしたが、
宛名書きも情報を登録すれば無料でできるし、さらにそのままお届け先にポストインも手配できるという…
なんとも便利な時代!
でも、なんだかそれじゃあ味気ないですけどね。
同じ出すなら一筆添えたいし、
カタチだけになってしまうなら出さない選択をする。
今年も、遠くに住んでなかなか会えない友人や、元気そうな子どもたちの写真でパワーを送ってきてくれる友人へ、わが家バージョンを送りました。
ただ、張り切ってクリスマスまでに投函したんですが、結局年の瀬ギリギリにおじいちゃんが亡くなって喪中に。
SNSバージョンはアップできずにいます。
今はおめでとうー!って弾けて言ってるのはなんか違うと思うし、
でも、挨拶してないのも何だか変な状態。。。うーん。
年賀状のやりとりはなくていい?
思ったことは、やっぱり前回の「お返事方式」の方が、相手とやりとりが充実して楽しかった。ということ。
お互い元旦に送りあうと、どうしてもメッセージが一方通行になってしまう。
なら、改めて返事書く??いや、それほどたいそうなことでもない。
ただ一年に一回、大切な友人やお世話になった方を想うのに、年賀状はとても良い機会。でも「風習」に囚われすぎてしまうと、本来の良さを失ってる気がする。
無くしていいのは、どうしても元旦に送らなきゃ。とか、いつも届くからとりあえず出しとこー。みたいなこだわり。
もう少し自由に、柔軟に、年末年始のごあいさつを活用できるようになればいいですよね。