誕生日ケーキはいらない。子どもから学ぶシンプルな考え方
先日誕生日を迎えた娘。
本人たっての希望で、ケーキではなくマカロンを歳の数だけ選びました。なんか節分の豆みたいですね。
近くの洋菓子屋さんで、バラ売りしてるカラフルなマカロン。娘が5つ、わたしが2つ、夫が1つ選んで全部で8個。色々味見したけど、夫が選んだ抹茶味がめっちゃ美味しかったです。
夫はこんな時も少なくても豊か。。
マカロンだとロウソク吹き消しはできないな…と思っていたら、
ちゃっかり、少し前に製作体験で作ってきたキャンドルを持ってきて灯すようにとリクエスト。なるほどね。
彼女の中には、常識や固定観念という感覚に引っかりがない、自分のやりたいこと・欲しいものがいつもハッキリしています。その姿を眺めて、気づかされることは本当に多い。
プレゼントも、「いま特に欲しいものはないから、また今度」とひと言。
この辺は記念日にこだわらないわたしの習慣が影響してるかもしれません。。
誕生日だからって、ホールケーキを買ってロウソクを歳の数だけ吹き消して、高価なプレゼントをもらう。
それを幸せと思いこんでいるのは、たしかに妄想であって、誰かが作り上げた幸せイメージに乗っかってるだけ。何年もかかって記憶に刷り込まれてきた光景が満足と錯覚させているだけなんですよね。
目の前で笑顔でマカロンを頬張る娘を見ながらそんな風に思いました。
子どもの考えや行動って本当にシンプルで自由、だから自分の欲すること、必要なモノへの迷いもない。それを常識やマナー、躾と称して変形させていってるのは、周りの大人たちでそれは大切な感覚まで、削ぎ落としてる。そしていつのまにか頭でまず考える思考になってしまうんですよね。
子育てをしたことが、シンプルに暮らしをするきっかけになったけど、今は逆に子育てを通して、どうシンプルに考えるか。シンプルであるか。を学んでいる気がします。
こうじゃなきゃいけない。
こうするのが普通。
普通ってナニ?
誰かの普通は自分の普通なん?
そう思うことが増えたけど、
そんなことを思ってる時点でわたしはまだまだシンプルじゃなくて
周りからみる自分を意識して過ごしてしまっているんだということ。
その心理は徹底的に断捨離したいな。
そう思います。
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