すみれの壺

青野すみれのブログ

結婚10年目に手放したこと

自宅前の少し気の早い桜が、開花していました。

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そんな3月の温かくなるころに、私たち夫婦の結婚記念日があります。結婚したのが2007年ですから、11年ですね。

丸10年目のあった去年はブログを休んでいたので、書いていませんでしたが、

結婚10年目で手放したことがあります。

 

結婚10年目で手放したこと

これまでにも、触れてきましたが私と夫は国際結婚で夫は中国人。

日常の日本語はほぼ不自由なくやりとりできますが、ややこしい内容(たとえば役所の手続きや自治会の集まり、窓口への電話での問い合わせなど)は、やはりスムーズにいきにくい。それをずっと私が率先してやっていました。その方が夫もラクだし、何か間違いがあったときは結局私がやらないといけないんだし。

 

結婚以来ずっと、自分がやるのが当たり前になっていて、日本に暮らすかぎり私が頑張る番。そのぶん中国にいったら夫に頼る。そんなふうに割り切っていた部分もあります。

ですが10年目、

頑張るのを手放すことにしました。

 

頑張る自分を手放したきっかけ

きっかけは、娘の父である夫に不安を感じたから。

あることで、ちょっと娘の公的な手続きを頼む必要があったのですが、

全くできなかったのです。

夫「やったことないから、知らんし」とちょっと逆切れ。

 

この時からふと、この家族は私がいなくなっても大丈夫な状態だろうか。そう考えるようになりました。

料理ができない、洗濯ができない。そういう生活の不安ではなく

もし私が動けなくなっても、彼は父としてこの国のルールと言葉で、娘を守っていけるだろうか。理解して暮らしていけるだろうか。

 

頑張るよりも大事なことがあった

そうか、今まで私は、夫がこけないようにぶつからないようにすることが、彼のためになると勘違いしていたな。と。

あえて、コケそうやな。と思っても助けない。 つまずいて、コケて、自力で立ち上がってもらう。それを見守ることが一番その人のためになる。

 

これまで言葉がネイティブでない分のハンデは、わたしが頑張れば何とかなる。

ずっとそう思ってきましたが、実はそれは長年夫のためにはなっていなかったんだと今は思います。家族や大切な人を思うなら、苦手な部分もあえて任せて、失敗するのを見守ることも大事と気づきました。 

 

はじめのうちは面倒がっていた夫ですが、最近はわたしがなんでも結構突き放すので、慣れてきた様子。

たどたどしく、時間がかかりながらも行動している姿をみるたび、大丈夫かな?という不安ではなく、不思議と安心した気持ちになります。

 

手放してわかったこと

自立している上で、役割分担できていることと、

依存してしまっていることとは、違います。

夫婦間でも自分が頑張ることが当たり前になっていることってあると思いいます。

でもそれは、自分が良かれと思って過剰に先回りしているだけなのかも。

あえてやめてみる決断は、相手の経験となり、自分の安心にも繋がるかもしれません。

 

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