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すみれの壺

produced by 青野すみれ

「家族という病」を治す

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内臓の不調には、食べる物もまず「出す」を意識してから、「入れる」ほうが調子がいいね。っていう記事を先日書きました。
 
頭の中、心の中も同じで、どんどん出さないと良いものが入ってこない。
 
じつは最近家族のことで、
あれこれ我慢していることや、考えていても言わない事があったりして
そういうのって、やっぱり知らずのうちに溜まってて、
自分の中を占拠していることに気づきました。
 
じぶんにスペースがなると、身近に楽しいことがあっても、スッと入ってこなかったり拒絶したくなったりしてしまうというか…病みます。
 

 

思い切って伝えてみる。

伝えたことで状況が、良くなるか悪化するかは別として、少なからず変化にはなるのは確か。
そして、ものすごくじぶんに空間ができてスッキリするから、普段から心がけて伝えていくことは意識しています。
 
ただ、なぜかそうすることを制御してしまう関係がある。
私の場合は「親子」。
 
両親には、「親子」や「家族」という言葉を過剰に先行させて頭で考えてから、発言してしまうところがあって
思ったことを口にしない事が増えてた。親としての反応を期待してしまうし、
「それくらい、親ならわかっててほしい」とか、
平穏に過ごすために、娘を演じたり。
 

  

血は繋がっていても、頭や心が繋がっているわけではない。

いくら親子でも、考えていることや感情はわかりっこない。
それは、他人との関係と同じ。
 
だから、例え家族や親子でも思っていることはしっかりと伝えて、それで関係が悪くなっても、嫌われてもよくて、
 
それくらい自分勝手なスタンスで良いんだと。ってことに
35年経ってやっと気づいた。
 
 
もちろん、もともと仲良しで何でも言い合っている家族や親子は何の問題もないと思う。
 
ただ「家族」という言葉に囚われているなら、一旦その鎖のような枠を外して、1人の「個人」として関わり、扱っていくことが、生きやくなるのでは。
 
 

■そう考えるヒントを貰えた一冊

 本の背表紙より
日本人の多くが「一家団欒」という言葉にあこがれ、そうあらねばならないという呪縛にとらわれている。しかし、そもそも「家族」とは、それほどすばらしいものなのか.....
 
 本当に、知らず知らずのうちに、家族というものに「べき」思考になってた。
 
 
 
今日は、久しぶりに少しすっきりした気分。
気持ちに余白があるってこういうことだな〜と思います。
 
感情をアウトプットすることで、相手の考えと混ざり合って、停滞していた事が動き出す。
やっぱり、大切なこと。
 
 
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