すみれの壺

青野すみれのブログ

ブログのネガコメが書かれることについて思うこと。

 
ネガコメ(=ネガティブで否定的なコメント)
は、ブログを始めてから、初めて知った言葉でした。
 
わたし自身、普段は他人の意見にネガティブもポジティブもなくて、
それは受け取る側のコンディション次第で、ネガティブにもポジティブにもなる話なのであまり気にしていません。
 
だけど、ネット上ではやはりその考えだけでは難しいのかな。とも思う。
顔が見えないし、言葉は文字として残るから。
 
自分のブログにもそういうコメントがいつか来るかも。と心積もりはしていましたが幸いなことに、これまでそのようなコメントはなく過ごさせていただいてます。平和。
 
ただ、もしそういう攻撃的な事が起きた時に自分自身が準備してるのと
してないのとでは変わってくると思います。

心にも「災害非常用備え 」みたいなモノがあると良い。

 

http://www.flickr.com/photos/73653333@N05/9267662070

ネガコメが書かれたときの考え方

1.批判できる勇気を讃える

自分は違う。という意見を言って来られる事はわりと好きです。もちろん共感も好きだけど、「それは違うやろ、こんな意見もあるし!」って発信する事って大切なことだと思っています。
でもいざ、なかなか自分がストレートに相手にそれを投げるってなると勇気がいりますね。
私はなかなかできません。
いつも安全で簡単な「共感」する方に逃げてしまいます。
さらに実生活で面と向かって言いにくいから遠回しで言うような事も、ネット上では顔が見えないから言いやすい環境です。
言いやすいからこそ、それはオブラートにも何も包まれてない、誰かの率直な気持ちです。
そう思うと、自分の意見を非難するコメントだとしても、貴重な意見のひとつを投げてくれた勇気に「いいね!」と思えるかも。
 
 

2.可哀想な人やな。と憐れむ。

あーこの人はこんな風にしか表現できないんやなー
心が貧しいってこういうことだわ。。。
自分はこういう風にならんくてよかったわ。。
 
ただの罵倒した、モラルのないコメントにはやはりこう思うのが妥当かもしれません。
だっていちいちそのような方を気にする
時間も思考も勿体無いですもん。
 
 

3.ネガコメは自分も意見を見つめなおす良い機会。

相手はもちろん、自分自身もネット上では書くことに対して少し気持ちが大きくなっている事があると思うんです。
ビックマウスってやつです。
そんな時に、批判的なコメントは自分を客観視する良い機会になります。
 
本当にこの意見は自分の真意なのか…
話を盛ってないか…
それでも正しいと思える意見かどうか…
それを振り返る事で
自分の意見のさらなる自信や根拠に繋げていけるんじゃないだろうか。。
 
 

相手を意識しすぎず、自分軸で考える

ついつい、相手のことを意識して嫌な気分になったり落ち込むことがあるのかもしれません。ただ全く知らない人に振り回されてても意味がないと思うんですよね。
 
自分を中心に、起きている現状を冷静にとらえられれば特に落ち込むこともなく過ごせます。逆に利用するくらいの気持ちで。
 
こんなふうに考えると、ネガコメを貰うことも悪くないような気がしてきました。
考え方によってはプラスなることもあるよね。という感じで備えておきたいと思います。
 

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