耳の遠いおじいちゃんの介護で感じたコミュニケーションで大切なこと
毎週行っている、実家のおじいちゃんの訪問。
私の生活習慣の一部になってきました。
今年に入って何度か入退院していたころとは違って、
最近会いに行くと、顔色がいいし受け答えもはっきりしていてホッとします。
ただ、相変わらず耳が遠いんですね。。
もうこれは90歳手前で仕方ない。補聴器を勧めても断固拒否です。
それで、毎回いくと私がイラッとするポイントがあって、
それはおじいちゃんにではなく、母に。
耳が聞こえにくいことや、思考が老いていっているおじいちゃんのことを、ぜんぜん受け入れられてない母の行動。
1回で伝えようとして、大きい声で話しをしては、「もうっ!聞こえてない!」
「だから違うって、おとうさん!ぜんぜんわかってないやん!」
私がもういいからいいから。と諭すと、
なによ!という感じで、「毎日毎日、大きい声ださなあかん身にもなってよ」
っという具合。
「もうっ!聞こえてない!」→そうやで。だって耳が悪いねんから。
「だから違うって、ぜんぜんわかってない!」→そうやで。わかってないんじゃなくて、もうそういう歳やねん。
私はそんな感じでとらえていて、
聞こえにくいなら、それなりのコミュニケーションに切り替える必要があるだけなんです。
母を見ていると、
耳が聞こえにくい=ボリュームをあげて話したらいい。というなんとも単純で、一方的な考え方にしかみえません。
少し前にも書きましたが、言葉に頼りすぎているんでしょうね。
あとは、自己防衛というか
「私は言ったから」で終わり。伝わるまで意識と責任感がない。
コトバのコミュニケーションって共通の言語で、共通の言語レベルだからある程度
簡単に済ませられることなんですよね。
本当にコミュニケーションをとりたければ、
言葉以外にもやり方はたくさんあって、表情や体の動きや、心で相手の立場に立つこと。
私自身、おじいちゃんと話すときは、顔みてうなずいたり、手の動作を付け加えて話をしますが、まず1回で伝わるなんて思ってないです。
だから言い方やり方をかえて、伝わった。と思えるまで何度もくりかえし言うし、伝わってたか、最後まで行動を見守ります。
できてなかったり、違うことしてたら自分の伝え方に工夫が足りなかった。
ただそれだけです。
コミュニケーションは、お互いの歩みよりで成り立っていると思っています。
ただ、その相手によってはどちらかが大きく歩みよらなければならない。
おじいちゃんに対して言えば、もうその歩み寄りがだんだん難しくなってきているので、
こちらからたくさんアクションしてあげなきゃならない。
これって、小さい子供だったりも同じなんだけどな。
母は遠い子育て中の経験を忘れてしまったのか・・はたまた、私と弟も
一方的なコミュニケ―ションでイライラしながら育てられたのか・・・
この内容を伝えようとしても
一筋縄ではいかないのが、母の性格。
いつも自分が正しくありたい。認められていたい。
私が女性とのコミュニケーションが苦手なのは、無意識に母とのやりとりを
投影しているからかもしれない・・・
そんなことを考えながら。
なかなか片付かずゴミ屋敷化している実家の元私の部屋から、
少し残っていた私物引き取りました。
なにこの「保存品」って…細かく見ずに捨てようと思います。
「片づけて」っていってももう何年も変わらずゴミ(?)が増え続けている実家(有機系が散らかってないのが救い)
言葉でなかなか歩みよれない、私と母なので
ガミガミ言わず、自分のできることからまず行動で。
そんな火曜日の昼下がりでした。
では。
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