気持ちのやりとりはもっとスローダウンしていいと思う
今週、実家から持って帰ってきた段ボール。
いちおう中身をサラッとみてから捨てましょうか。と思って作業をすすめると、
案の定、手帳とかサイン帳(流行ってたね。)とかプリクラとか…多すぎる思い出たちが入っていました。
その中でも大量に箱の場所を占めていたのは、「手紙」
あ、そうだ私って文通をずっとやってたんだっけ。
いつのまにか、忘れていました。
それも1人の相手ではなくて、たくさんの人と。何年もやりとりしてるのもあれば。
ワンクールで終わってるものも。
どの手紙も
「こんにちは、お手紙ありがとう。こちらは…」
から始まっていて、
それだけ私も書いていたってこと。1番古いのは、幼稚園の年中さんの時期のがあって、これはもう感慨深い。娘の今の年齢と同じなので、微笑ましく、我ながらすごいな。とも。
それから、小学校、中学校と続くけど、
高校時期になると
「いつも返事おそくてごめんね。ベル買ったからまたいつでも連絡して。」とポケベルの番号が書いてあるものがいくつか…。
さみしいね。
覚えてないけど、きっと私も書いたのかもしれない。
確かにどんどん繋がりが便利になって、繋がりが簡単になるほど
薄くもろくなってきたきがする。
手紙って、ポストに届いたワクワクと、開封するワクワクと、
もちろん近況や報告を読むワクワク。
それを自分に馴染ませてから、
また自分の好きなタイミングで、自分を表現できる楽しさ。
便箋や切手を選ぶ楽しさ。
いつ返事が来るかわからない。来ないかもしれない。その自由なテンポがしっくりきてやっていた。
近頃は、気持ちのやりとりが早すぎて、
本来の自分の感情が追いついてないやりとりが、すっかり増えてしまったように思う。
・-・-・-・-・
そんなことを考えていたら、
妊娠中の友だちから、産まれたよ〜よろしくね。のLINEが。
おめでとう〜!とすぐ返す。
しばらくして、片づけながら彼女への想いがふつふつと湧いてきた。
望んでいたけど、ずっとなかなか育たなかった命。何度も悲しい思いをしながら、やっとこの世に誕生してくれた命。
そんな思いを整理せぬまま、私の気持ちは文字になり彼女の元へ先に行ってしまった。
もちろん、また会いに行って「おめでとう」って言ったり、電話したりして話せばいいんだけれど。。。
・-・-・-・-・-・
自分の気持ちはその場ではなく、少しおいて、整え、編集してから相手に届けるほうがしっくりくる。
現代はスピーディーで便利になりすぎてしまった。
手紙を書かないにしても、やりとりはもう少しスローダウンして表現したい。
写真は、懐かしすぎるなめ猫「なめんなよ」の手帳。
段ボールから一緒に出きて、
猫ブームの娘に大ウケでした。