不安やネガティブを感じると見えなくなるもの
〇〇くんのおじいちゃんが、お空の星にになったから、〇〇くん今日は「きびき」やってん。
夕食の時間に、娘から始まった会話。
へ〜忌引きなんて、もうわかってるんや。と感心してたら、
目の前で夫の周りに?マークがいっぱいでてた。
「・・・きびきってナ二?」
いわゆる「普通」の家庭では起こりえない会話の風景かもしれないけど、うちではこういうパターンが増えつつある。
在日10年以上のお父さんよりも、娘(まもなく5歳)のほうが知っている日本語がでてきてるんですね、すでに。
▶コミュニケーションに語学のレベルは関係ない。娘と外国人夫の会話を眺めて感じたこと。 - すみれの壺
そうこうしていると目の前で、ありったけの語彙を駆使しながら、お父さんに「きびき」を説明する娘の単独ショーが始まって、楽しませてもらいました。
でも、はじめっからこういう状況を楽しめたわけじゃなかったです。
数年前の私なら、
たとえ外国人でも日本で10年以上も働いてきた人が「忌引き」もわからないのか。と批判したり、そういうちょっとしたマイナスポイントを勝手に大きく考えて、将来のことを不安に思ったり、自分がしっかりせなアカン。という根拠のないプレッシャーの波を作っては飲み込まれそうになっていくパターンが多かった。
おかげさまで、今はそういう不安を感じる前に、日々、目の前に起こる出来事の、明るいところに目をむけて、楽しめるようになった。
それは、暮らしをシンプルにしてきたこととちょっと繋がっているかなと思っています。
漠然とした不安だったり、ネガティブの種は、今は必要ないモノです。
心配していることのほとんどは取り越し苦労で、実際には起きないことがほとんどだから。必要ないとすぐ心から追い出していけるような習慣になったんですね。
これは必要ない持ち物を見極めてきた暮らしの中で身につき習慣化されたこと。
必要以上に所有すると見えなくなってしまってうことってたくさんある。
たくさんのモノで見えなくなっている部分が不安になり、ストレスになり、怒りや戸惑いになる。これは物質的なモノ以外でも、心の中であっても同じです。
それをなくしていくことで
心はクリアになり、目の前に起きていることをまっすぐに、素直に、前向きにとらえられるようになる。
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