すみれの壺

青野すみれのブログ

「整頓感」を楽しんでいます

実家の片付けが進んだ次の日は、

何だか気持ちがスッキリして、小気味よく時間が過ぎます。

 

今日も朝から、回収してきた、壊れたドライヤーや、もう使えない電源アダプターたち、取り替え済の電球など…を

役所にある回収ボックスにルンルン♪と持っていきました。

(わたしの住む地域には役所に専用ボックスができて持ち込めば回収してくれます)

 

何で壊れたのに、捨てないのよ!

そんなだからモノで溢れかえるんだ!

と少しカリカリした気持ちもありながら、

持っていく作業は気分がよい。

然るべき行き先に、送り出すことができているという「整頓感」が、

気分がよい理由です。

 

 

モノは大切に。というけれど、

寿命がきた物やこれ以上使えないものを、ホコリまみれにして部屋の隅に葬るのは「大切にしている」とは言いがたい。

 

だったら、「ありがとう」の気持ちで処分したほうが、ひとつひとつを大切に思える。

 

 

ただ、うちの両親はまだそういった段階ではなく、話を聞いていると

そもそも、どうしたらいいのかわからない。という状況。

 

  • 何だか捨てたらダメっぽい。
  • これって、どうやって捨てるの?捨ていいの?
  • 捨てずに処理する方法はあるのかな。

 

そんなフレーズが毎回でてきます。

 

きっとこれまで、わからずに

今はいいや、とりあえず置いとこう。

そして、忘れる…

を繰り返してきたのかも。

 

もう使えないものだから、忘れるのも無理がないですよね。

そこを何とか先延ばしにせず、鮮度があるうちに

聞くなり調べるなりして

行動に移せるかどうかが鍵…

 

なんて、本人たちには言えずに

ここに書いている訳ですが。。

 

 

そもそも、

捨て方を知っていたり、処分するときのイメージが出来ていないと、モノの入口(所有すると決めるとき)はコントロールできません。

 

 

入口がコントロールできないと、増えるいっぽう。

買うという行動が好きならば、

それだけ処分の知識とスキルも必要です。

 

逆に考えれば、手放すことに慣れている人は、買い物しまくっても

さほど怖くはないわけです。(金銭的には別としてね。)

 

 

昨日から、元々わたしが使っていた部屋(今では母の倉庫化している部屋)に取り掛かりましたが、手強いです。弟の部屋とは違った意味で。

弟の部屋は、思い出の整理と掃除がメインで、捨てる物も多かったので片付きやすかった。

 

しかし、

今回の部屋は、買い物してきてそのまま袋から出さずに放置している物が「時間の層」になって外側に順番に広がって積み上がっています。食べ物がないのが救いですが、それでも恐ろしい。

まずは、ひとつひとつ袋からだして、カテゴリ別にダンボールに仕分け

母の目で見てもらい、現状確認してもらい終了。

「これだけあるよ。ここから使ってね。」

言えたのは、これだけ。

同じものをどれだけ買っていることか(泣)

 

今回は、ほとんど捨てていないので、見た目はスッキリしなかったのですが、仕分け作業後は「整頓感」があり、圧巻でした。完全に自分感覚ですが。笑

 

 

わたしは楽しみながらやりたいし、

母や父も、暮らしやすくなるように。

win-winを意識して続けていきたい。

 

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