日々の小さな習慣が、私たちの当たり前になっていく
最近、娘と台所にたつ時間が増えました。
料理はもちろん、何かを作り出す作業に興味深々の4歳児です。
先日夕飯を作っていたとき、
横にいた娘が
「お母さんはお料理が上手だね。***にはできないよ」
と不安そうにつぶやいたので、もちろん言いました。
「少しずつ練習していけば**にだってできるようになるよ」って。
そうしたら返ってきた返事が
娘「でも今は一人できることがないから、もしお父さんとお母さんがいなかったら
お腹がペコペコになって困っちゃうね。」
(そうだね。いいなあ。ハングリーだなあ。)
私「でも、おにぎりとかなら握るだけだし簡単にできるね。」
娘「えーでもラップがひとりで上手にちぎれないから、できないよ~」
それを聞いたときに私の中でハッと気づくことがありました。
特に娘におにぎりの握り方を教えたわけではありませんでしたが
娘の中では私が作るおにぎりの習慣から、おにぎり=ラップで握るもの
にすでになっていたのです。
私たち大人に当てはめてみると・・・
そんなふうに在るのが当たり前、使うのが当たり前になっているものが
身の回りにたくさんあって、
特に私たちの世代はそういう環境で育ってきた世代だって気がします。
思い込みで、使えば便利だ。と使っているものも多いし、
なくても大丈夫に気づきにくい体質。
環境によってその度合いは様々だと思いますが、
固定観念ってこうやって生活する環境で少しづつできあがっていくもんなんだな。
って。
そしてそれをふと気づかせてくれるのは
やはり日々のコミュニケーション。
相手の考えていることや感じていることをやりとりすることで
価値観やシンプルに暮らすことへの気づきになるなあ。
と感じます。
忙しい朝に、手が汚れないし
持ち運ぶのに便利だからラップを利用して握っている。
でもおにぎりは、素手で握るのがいちばん美味しいし
本来はそういうシンプルなものなんだ。って。
それを伝える大切さを気づいた出来事でした。
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