靴箱を小さく模様替え。
思い立ってはじめた模様替え。
玄関靴箱が小さくコンパクトになりました。
Before
前の家で、靴箱として使っていた棚。
ブログにも、何度か登場していました
引っ越し後、とりあえず!と玄関に置いて使っていたまま。。改めて見ると写真や飾りもちょっと無造作すぎますね。。汗。
そして家族3人手持ちの靴がどんどん少なくなって、結構スカスカです。
棚が黒いから空きスペースにたまる砂ホコリも目立ちます…
あんな風にしたい。
こんな風にしたい。
色々考えだしたらキリがないけど、
最近良い意味で拘りが無くなってしまっていて
「使えてるからまあいいか」
そんな感じで、他の家具なんかも使っている状況でした。
振り返ってみると、引っ越して間もなく、弟のことや別れがあり、この半年私の満足ハードルが急激に低くなっていたからというのがある。
生きてるだけで、満足。
ちょっと大げさだけれど、それくらい。
でもやっぱり、自分の生活を大切に、楽しむ要素というものは必要で。
しばらく周りに軸を置いて考えたり動いたりしすぎた感じに気がついたので、
ここで一息ついて、部屋を少しずつ替えながら自分の心も模様替えして整えればいいなと、動いてみました。
さて、今回買ってみたコンパクトな靴箱。置く場所に合わせて幅が調整できるシンプルな作り。
色も白で明るくなり、サイズ感も今の暮らしにフィットした感じで満足しています。
靴箱上がスッキリしすぎて、さてさて、何を飾ろうか。と思案中。
フローリングシートも白系に張り替えたい♩考えだすと色々と欲が出ている最中です。
愛用中の靴とクリーナー
ポイントカード持たない主義。ポイントを貯めない人の苦悩
ポイントカードはお持ちですか?
要らないです。
失礼しました。
レジでの
この一連のやりとりをなくしたい。
持ち物を減らすようになってから、ポイントカードが増えて管理するのが面倒なので、断る習慣です。
今は、アプリでポイントが貯められるのも増えてきてカードも増えない、持ち歩く必要もないのが増えてきた。
一見便利になった風だったけど、
これも、ケータイ出して、アプリを起動して…という手間がかかる。
言い方は悪いけど、その時間と思考の無駄は無くしたい。だからポイントカード持たない主義なんだけど、
近頃はあらゆる所で、レジの方が聞いてきてくれる。
「ポイントカードお持ちですか?」って。
「ないです」
というと、
「お作りしましょうか?…」
と続いてしまうので、
「いらないです。」
と言うようにしてるのですが、
「失礼しました」
って、なんか謝らせてしまって、こちらも申し訳ない気持ちになる。
昨日なんか、3店ほど連続で謝らせてしまったものだから、
いい買い物して、いい気分のはずなのに、なんか後味悪い感じになる。
もちろんお店的には、提示し忘れがないように親切で声かけするのがマニュアルなんだと思うけど、
そもそも、ポイントカードってポイントを貯めたい人が自己責任で提示する方が自然。
もしポイントカードを持っていても、レジで出し忘れたなら自分のせいだし、
忘れてしまうくらいなら、そんなに執着して貯める必要もないポイントなんだと思う。
大した事ない時間のように思えるけれども、毎日積み重ねていくとたくさんの時間になる。
ポイントを貯めない、ポイントカード持たない主義の人が、気持ちよく、すばやく精算できるようにしてほしいな。
もしくは、レジが終わった後にモヤモヤしない、
私なりの気の持ちようをを早く見つけたい。。。
さいごに
ポイントは貯めない主義と書いてしまったけど、マイルや楽天ポイントは有効に活用させていただいています。これらも「貯める」のではなく自然に「貯まっている」のが本来の姿なのでしょうね。
花の名前を知るために始めてみたこと
今の家に越してきて、初めての春。
嬉しいことに、
町内にたくさんの季節の花や草木が植えられていて、次々に彩られる風景を楽しんでいるのですが、
あまり花や植物の名前を知らない私。
桜。チューリップ。本当に本当にメジャーなものくらいしか知らないのです。
お恥ずかしい。。
綺麗だと、「素直に貴方の名前はなんですか?」と聞きたくなる。
だけど植物たちが答えてくれるはずもなく…
娘からの「これなんていうん?」という質問にも答えたい。
何か簡単に知る方法ないかな。
困ったら何でも指先で調べられる暮らしになったけども、花の名前はそれもちょっと難しいことに気づく。
そもそも検索する単語がわからない。
図書館行って図鑑めくる?
と考えたりしながら、まず知ったのは
花の名前を知るアプリ。
「花の名前 調べる」
と検索すればいくつか出てきました。
写真をアップすれば、知っている人が教えてくれたり、AIが〇〇かも。と教えてくれたりするのです。すごいやん!
こういうアプリがあるのを全然知らなかったので、はじめは活用してみようと興奮したのですが、なかなか正解に結びつかないというか、何か違う感。
もちろん便利なんですが、使いこなせない予感。もっと気軽にわかりやすい私向きの方法。
それは、
ホームセンターに行くこと。
ホームセンターにいくと外売り場には、たくさん今が季節の花や草木が売られていて、そこには名前がしっかり書かれてある。
これが便利。
お散歩のついでに立寄ってみることにしました。花屋さんよりも気軽に見て回れます。
早速、ハナミズキを知りました。
お名前だけは存じておりましたが、貴方がハナミズキでしたか!
今住んでいる家の周りは、いろんな花がたくさん咲いていているから、嬉しい。
— 青野 すみれ(すみれの壺) (@aonosmile) 2018年4月16日
最近は 桜が終わって #ハナミズキ が綺麗。
もうすぐ、ツツジが咲きそうです。 https://t.co/uYoHEViltj
せっかく芽生えた興味なので、少しずつ季節の花の名前、覚えます。
モノはほどほどに、心や会話を豊かにする「知」を増やしていきたいですね。
もっと直感を楽しむ習慣
頭を使いすぎている。
ブログに文章を書いていると、どうやら頭を使いすぎているみたい。
そんなことに気がついた。
日々の行動や考えに対して、理由や根拠を考えすぎたり、それを証明する過去や情報を探して難しく考え過ぎている。
欲しい物ひとつ買うにしても、
根拠を考えている。
ふと思い浮かんだやりたい事にしも、
理由を考えている。
いつのまにか頭ばっかり使っていて
感じてない。
そもそも、
欲しいと直感したなら、根拠なんていらないし、
やりたいと思ったら、理由なんていらない。
それでいい。
まずは行動に移すのが一番。
考えすぎがクセになると、直感力が鈍くなるし、さらに行動できるタイミングで行動できなくなるという悪循環が起きる。
しかも考え過ぎた上での行動に満足した結果が伴わないと、また理由を探して、何かのせいにしたくなる。
そして、また頭を使う。
逆に直感で行動すると、ダメでも
まいっか。
そんな時もあるね。
と失敗も楽しめる。
もともと、直感で生きてきたような頃が多かったはずの私なのに…
環境の変化のためか、
歳を重ねたせいか、
なぜか以前より複雑に考えすぎている自分がいます。
もっと自分の直感楽しむ。を意識して、4月後半は過ごしていくことにします。
そうそう!▼
忘れられないだろう光景
今週は子育て6年の間でも、1、2を争うくらい印象的に胸に焼きついた光景があった。
それは、娘が自ら勧んで私から離れていく光景だった。
小学生は自分で学校まで行く。
そんなことはわかっていたはずだけど。
少しずつ小さくなっていく後ろ姿。
なんとも言えない淋しさと、悦びと、安心が入り混じった気持ちと一緒に心に焼き付いて、忘れられない光景になった。
じつは、昨年私の弟が亡くなった直後から、娘は少々心が混乱し、パニックになっていた。
私が目の前から見えなくなると、大騒ぎになったり、仕事にもついていきたい。そこまで本気で訴えていた。
私が強く咳をしたり、しんどいと横になることにも敏感になった。
娘にとって、私の弟が亡くなったことは、理解していた「死」とは全く違ったからだったと思う。
彼女の中での死というのは、人は年齢を重ねて、老いて、そして死んでいく。
そういうものだったから。
おいおいちょっとまて。と。
順番が違うぞ。と。
ということは?お母さんもいつ居なくなってもおかしくないってこと??
6歳の小さな経験と知識で、めちゃくちゃ彼女なりに考えたのではないかと思う。
口には出さないけど、そう思ってしまったからの行動だというのは、わかっていたので、
ギュッと抱きしめて、温かさを伝えて、
大丈夫。ここにいるよ。と安心させてあげることを繰り返すしかなかった。
幸いにも、赤ちゃんから通い続けていた保育園の存在が、娘にとって拠り所となってくれた。状況をよく知る担任の先生も抱きしめてくださり、ケアしてくださり、お友達と日々遊ぶ中で、この半年かけて安心を取り戻していけたのだと思う。本当に感謝でした。
小学校はそこから、離れ、親からも離れ、生活していく場所。
ようやく元どおりになってきたところで、不安がまたぶり返さないだろうか。と内心かなり心配はしていたけれど、
現状は、以前の彼女どおり。もしくはそれ以上のにパワーアップしているように見える。
幼いながらも、家族の死を乗り越えてくれたのではないか。
もしくは、まだ幼いから悟りが早かったのか。
わからないけど、娘なりに頑張ってくれたのだろうと思うと、涙が出る。
そんな気持ちや経緯もあり、今週見た、娘の小さな後ろ姿とわたしの感情はきっとずっと覚えているだろうと思う。
こんなこともあったなぁ。
母の買いだめ観察をしてわかったこと
春は卒園入学のイベントもあり、亀の歩みのようにゆっくりだけれど、着実に進んではいる、実家片付け。
とは言っても、とりあえず2部屋と廊下の床が見えた。といった感じ。
前にも少し書いたけれど、
うちの汚部屋には腐敗や異臭はない。
生ゴミや食後は適切な処理がされているのが救い。
じゃあ、何が多いのかっていうと、
2大巨頭が、
- 調味料や消耗品の買いだめストック
- ダイレクトメール、納品書
今日はこの買いだめストックの話。
買ったものが、袋のまま分類されることなく、時系列で地層のように積み重なっている状態。
2部屋のうち1室はそんな状態だった。これを仕分けして➡︎使用期限切れは同意の元処分して➡︎このベラボーに沢山ある在庫をどうやって処理していこうか…という段階。
私だったらそのまま えいッ!と捨ててしまう。
けど、母曰く、いつか使うのだそうだ。
総計1000枚以上の水切りネットを??
まぁいいわ。
母に提案しているのは、
- 売るで。
- あげたら?
- 私が使うわ。
この3つ。
1は、たまにあるけど、ほとんどない。
必ず必要なものを買っています。というのが母の持論だからだ。
2もあんまり。
3は、結構すんなり進むのに気がついたので、使えそうなものは出来る限り持ち帰って使っていくようになった。
それで気がついたことは、
ほとんど使えそうなものがない。ということ。私が極端に家事や暮らしに使うものが少ないから。というのもあると思うけれど、
こんなにあるのに、洗剤とか、ラップとか、そんな感じの身近に使えそうなのがない。
よくよく観察してみると、
父が使う歯磨き粉
弟が好きだった調味料
祖父使う…
嫁いできて、まもなく同居の母が亡くなり、母は家事をしない男性3人の面倒をこれまで30年近く見てきた。
「おーい!アレ!持ってきて。」
気がつくとなくなる家族の消耗品。
それにいつでも答えられるように、という気持ちの現れがこの状況なんじゃないのかな。
母の買いだめを整理して、そんな風に思えるようになった。
自分の消耗品は後回し。だからあんまりない。
そう考えてみると、不用品の山ではなく、愛情の山に見えてくる。
ただ、母にはそのたくさんの愛情で買っておいた溢れんばかりの在庫を管理する技術はなかった。
そして幸いなことに、家がさほど小さくないから、置く場所ができてしまったんですよね。
同じ主婦としての、批判眼が強くでてしまい、母とは素直に仲良くできない私ですが、実家を片付けることで、実家の現状と向き合うことで、少しずつ母の気持ちもわかっていける、気がしています。
そして、わたしの不安もまたひとつ消えていく。そんな片付けの日々は続く。
自己紹介で必ず言うこと
自己紹介の季節。娘も新しいクラスで自己紹介ゲームをしたそうな。
どんなんしたん?
教えへーん。
少し前までは、質問すると一生懸命に何でも教えてくれたのに、小学校に入ったとたん、ちょっと秘密主義な部分がでてきて、これも成長かと淋しさを紛らわしています。
自己紹介といえば、いつも習慣にしていること。
それは、コンプレックスを先に言ってしまうこと。
「コンプレックス」というと、暗いイメージだけど、
周りとはちょっと違ってる。って自分が意識してる部分
を言ってしまうのがいいと思う。
私の場合は、必ず最初の会話で、夫は中国人です。っていうようにしていて、
これを習慣してから本当にラクになりました。
自分も。そしてたぶん周りも。
最近では、随分やりやすくなったけど、ひと昔前(私が結婚したころ)は、まだ国際カップルもそこまで多くなくって、しかも悲しいけど「中国」というワードに敏感な方がいたりで、
私にとっては、生活の中心で紛れもない事実なのに、周りから中国が悪気もなく否定される会話が聞こえてくると、自分も悲しくて辛いし、どんどん言い出しにくくなって追い込まれていく…。
何で私が…。
私は悪くないのに…。とか
延々悩んだ時期がありました。
この件は、夫にも相談できなかったから辛かった
結局は、最初に言ってしまった方がラクだって、気がついて…
よく考えてみたら、相手は事実を知らされてないワケですから、配慮できなくて当たり前なんですよね。
言いにくいことって、時が経てば経つほど、あれこれ状況が絡み合ってカミングアウトしにくくなるし、パワーが必要。
逆にはじめに言ってしまうと、重め?の内容も軽く伝えられることが多い。
自己紹介で自分のコンプレックスな部分を言ってしまうことで、避けられる人ももちろんでてくるかもしれないけれど、
事実はもう伝えたので、後は周りが判断してね。というスタンスは自分が本当にラク。
離れていく人、近づく人。
人間関係をシンプルにしてくれる方法の一つです。
こんな自己紹介もしていました。
憧れの人
片付け屋
大庭十萬里さん。
と言っても、実在するわけではなく、この小説の登場人物です。
ちょうど実家の片付けを考えるようになった時、本屋さんコーナーで面陳されていたのを見つけ、タイトルに惹かれて思わず手に取ってしまったのが出会い。
そして、この本を読んで、十萬里さんかっこいい!十萬里さんみたいになりたい!と素直に思ってしまいました。
その勢いで、実家の片付けもスタートして、まだまだ戸惑うこともあるけれど、
気持ちが下がったら、この本を読んでモチベーションを保っています。
- 清算
- 木魚堂
- 豪商の館
- きれいすぎる部屋
四つのケースが登場するんだけれど、
どれも、心が片付いていく話。
ここにものすごく惹かれます。
それぞれのケースに片付け屋の十萬里さんの鋭い観察力とアドバイスで、依頼人の生活が改善していく様は本当に気持ちがいい。
フィクションなので、現実でこんなに上手くいったら苦労せんわ。という意見も多いみたいだけれど、それでもやっぱり、心の散らかりと部屋の汚さが繋がってるのは、わたしは信じているので、
たくさんヒントを貰っています。
とくに、さいごの"きれいすぎる部屋"は母のことと重ねながら読んでしまうと、涙が止まらない。わたしも十萬里さんみたいになれたらいいのに。
もし私が死んだら
このブログはどうなるんでしょうか。
もちろん更新されなくなるわけですが、
誰がどうやってその事実を発信して、
処理してくれるのか。
家族が亡くなると本当に色々なことを手続きしたり処理していかなくてはいけなくて、
弟が亡くなってからも、公的なものはもちろん、細かな個人の契約など父と私でとても苦労しました。
まず、何を処理していいのか、わからない。。
半年以上が過ぎて、一旦は落ち着いているけれど、おそらくまだ私たちの知らない会員や登録はあって、メールやDMが届くたび解約や連絡など対応しています。
契約状況をシンプルにしておいて
例えば、これは比べてはいけないし、こんなことを想定したくはないんなんだけれど、もしうちのおじいちゃんが今亡くなっても、こういう手続きはほとんどないだろうな。と思っています。
もちろん保険や相続の手続きはあるだろうけど、他に特に複雑なものは何もない。
ネットで会員になってるシステムがあるわけでもなく、クレジットカードすらない。
保険に関しては、特定の方が家に出入りしてお世話してくれているので、その方にお伝えすれば、きっと進めてくれる。
一緒に住んでいない、私にさえこの事がわかるくらい、シンプル。
暮らしがシンプルな人が増えた現代でも、こういう裏側はシンプルでない人もたくさんいると思う。
なくすことはちょっと難しいけれど、減らすことは出来るはず。
むやみに契約を増やしたりせず、
使っていないものは、解除していく。
今使っているものを、日々明確にしておかないと、家族は大変です。
普段からコミュニケーションが少ない人は特に。
SNSの処理問題
ブログもそうですが、SNSも考えておかなくちゃいけない。これも、おじいちゃん世代では絶対ないけど、これから亡くなっていく方々は必ず出てくる。
家族が何を使っていて、どう繋がっているのか。意外と知らないので、日頃自分から周りに伝えておくと、家族はスムーズに処理できる思う。
SNSは便利な面もありました。亡くなったことを伝えるのに、連絡手段としてとても役立ちましたし、
葬儀のお礼状を出すときにも、記帳の字が達筆過ぎて読めないものなどはFacebookで、確認できた方がたくさんいました。
会社関係?友人関係?迷った時も確認できたので、こういう事はSNSがなかった昔はもっと苦労した部分かもしれません。
ちなみに弟のアカウントは、まだ存在していて、スマホごと母が使っています。
いずれは、処理しなくてはいけないのだろうけど、今は母の拠り所になっていると思うので、しばらくはそのままに…
時々更新する、私の近況投稿に弟から「いいね!」が来るのをみると、わかっているけど、毎回ドキっとしてしまいます。
他の方にも母はいいね!してるのかも。
それはそれで問題ですね。
友だちってどうやって作るの?
「お母さん、ワタシ友だちの作り方よく知らんで」
4月になって小学校の放課後ルームに通いだした娘。
入学前から放課後って表現するのもなんか変だけど、今は春休みなので朝から夕方まで。縦割りの新しい環境で、緊張しながらも楽しんでいる様子。
「新しく、お友だちできた?」
私からの質問の答えに何を今さら?!となってしまった。
よくよく話を聞いてみると、
保育園の友だちは、気がついたら一緒にいたから、新しく作った友だちじゃなかった。と。
たしかに。0歳からいたしね。
でも、途中から増えたクラスメイトもたくさんいたよね?
それは、向こうから来るのを
いいよ。って仲間にするだけやん。
なるほど。ワンピースの仲間増えたみたいに言うね。
要は、受け入れた事はあるけど、自分から作りに行った経験ないよ。っていう話らしい。
「一緒にあーそぼ」って声かけたらいいんちゃう?
とりあえず一般論でアドバイス。
そう言いながら、私自身そんな風に友だちを作った記憶はないという事に気がついてしまった。。。
いつも、話しかけてくる子とただ仲良くしていたなーと思う。
自分から行動する。ということができるようになったのは、社会人になってから…? いや、結婚してからかも。
仲良くしたい友だちはいたはずだけど、断られることが怖くて逃げていた。自分が傷つきたくない。その気持ちが一番強くて、受け身三昧。
恋愛もそう。
そうやって、10代20代にどれだけのチャンスを逃していたのだろう…
そんな風になるのはもったいないぞ。と思いながら、娘の顔をみると
「わかった。じゃあ明日からしばらく観察してみて、どの子に声かけるか決めるわ。」
とめちゃくちゃ冷静。
う、うん。それでいいと思う。(センパイ尊敬しますッ)
娘の尊敬するところは、
こういう風に、単刀直入に
「ワタシよくわかりません」って言えるところ。
ここは、私ではなく夫に似ている。
そして、アドバイスを冷静に試みるところ。
私は周りや両親にすらずっと受け身で、迷惑かけないように、ガッカリされないように…という気持ちで過ごしてた。
けど、じつは周りに気を遣っているようで、自分を守る事しか考えていなかった弱虫だったなと、今は思う。
性格だから。と言ってしまえばそうかもしれないけれど、
やっぱり子どものころから自分でアクションを起こして人間関係を作れると、
大人になっても自分軸で考えられる習慣になっていくんじゃないかなー。と。
新しい環境を心配した親のほうが、大切なことを気付かせてもらいました。
関連記事