大事なモノのために減らす:子育てにモノは必要ない。
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みうさんは、この記事で
自分が大事にしたいモノのために減らす。
自分自身の体や心を大切にするために、減らしてきた。
ということを、
書かれていました。
これを読み、
私が減らしてきた中で大事にしてきたものってナニかな?改めてそんなふうに考えててみました。
大事にしたいモノは、家族との関わりだった
とくに娘が生まれてからは、大切にしたい基準がしっかり明確になったのですが、減らしたキッカケには、毎日が忙しく仕事や家事をこなす時間をつくるため。というのがありました。
結局は、娘をはじめ家族との関わりを増やし、時間を大切に感じたかったから。
大事にするというのは、我が子にたくさんのモノを与えて、たっぷりの想い出を作り、溺愛していくことではないのではなく、彼女との関わりに満足を感じられること。
そうするために
- 家事はなるべく簡単に。
- イライラ、カリカリ悩みごとはしない思考に。
- 仕事はほどほどに。
そうした軸で、あらゆるモノを手放してきたように思います。
減らしてきた中で気付いたことは、
モノを介さないほうが親子のコミュニケーションは豊かになるんだということ。
子育てに関わるモノを引き算して考えることと、親子のコミュニケーションは相乗効果があると思っています。
命が育つことは、じつはものすごくシンプルなこと
子育てにじつはそんなにたくさんのモノは要りません。
必要だと思い込んでいるのは、どこかで他人の暮らしを意識して比較してしまっている親の自分なのだと思います。
巷にあふれる、育児の便利グッズやオモチャたち。つねに最新のものが溢れ、そこには終わりがありません。おそらく求めれば求めるほどに足りなくなっていく。
それらをより多く取り入れることが、豊かさになるのではなく、自分たちの環境を知り、少しを選んでいくこと。
たくさんのモノを使って育てても、命の大きさや価値が変わるわけではありません。
たくさんのモノを与えてあげたい。と思ってしまうのは、きっと親の自分が「与えた」ことで満足をしたいから。
命を育てるという、重大任務への漠然とした不安や目に見えない重圧へ、
目に見える何かを与えていることで、親である自分を肯定したい。
そうなんじゃないだろうか。
モノに囚われなくても、与えていけるモノはたくさんある。限りなくある。
むしろ、モノがない方がその濃度は高まります。
暮らしになるべくモノを増やさなくなればなるほど、そう感じるようになりました。
なにもないからこそ、
言葉と言葉、心と心、そして経験を伝え、共有していくことにフォーカスできる。
これからもモノを増やすことに囚われず、コミュニケーションを大切に温かく豊かな子育てをしたい。
私が減らしてきた基準はそこなんだと思います。
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