【モノと向き合う】憧れと存在を語り継げる「モノ」
最近、さらにブログが迷走中の青野すみれです。
すみれんたる記事へのアクセスがすごくてびっくり。
— 青野 すみれ/すみれの壺 (@aonosmile) December 27, 2015
ミニマリストブログなんだか何だかもう最近、わからなくなってきた!
そう。なんかもう、わからなくなってきたんですが、以前もブレてると悩んだ記事を書いた時に、
それは、「変化している」ということ。と前向きなコメントで沢山励ましていただいたので、今もその気持ちを支えに歩んでいます。
いっその事「すみれ」という新しい独自ジャンルを作るぐらいの気持ちでやっていったら楽しいんじゃないか。とへんに強気だったりもします。
さて、そんな迷走ブログですが、
ミニマリストとして、モノと向き合う記事をはじめの方はたくさん書いていました。今でも自分で読み返すと、面白いですし、書いていて良かったな。と思います。
今回はいつも交流しているヨガとシンプルライフのみうさんの素敵企画に参加すべく
▶︎【モノと向き合う】我が家にある一番古い思い出のもの。|ヨガとシンプルライフ
改めて自分の持ち物について書いてみたいと思います。
私の持ち物で1番古いもの。
これは、ツイッターのアイコンにも登場しているニット帽です。
(現在は違います)
アイコンでは娘がかぶっていますが、実はこれは私の持ち物です。小さい頃に使っていたもので
当時一緒に暮らしていた、おばあちゃんが編んでくれたモノ。
当時の私は、おばあちゃん子で
家にいる時はずっと一緒だった記憶があります。
洋裁や手編みがとても上手で、洋服もたくさん作ってくれた。
大っきくなったら、おばあちゃんみたいに作れるようになるのかな。そんなワクワクを胸にいつも一緒に過ごしていました。
ただそんなおばあちゃん、私が小学生になった頃に病気になり、私が10歳になる頃には辛い別れがありました。
当時はまだ「家族がいなくなる」という現実を理解するのさえ難しく、言葉ではわかっていても、心で理解するまでは随分と長くかかったように思います。
まだ子どもだった私は、家族を気遣うこともなく、いつも一緒だった憧れの存在がぷつんっと無くなった生活に、ただただぼんやりと慣れていくだけでした。
そして高校生くらいになった頃
すっかりうちにはおばあちゃんが暮らしていた跡は少なくなり、
青春真っ只中の私。
新しい経験を重ねるごとに、おばあちゃんとの記憶もどんどん薄くなってきていました。
そんなある日、押入れから母がひょっこり出してきたのがこのニット帽。
おばあちゃんが作ったモノだと聞いた瞬間、
そうだった。と忘れていたおばあちゃんとの思い出が、次々とよみがえり
その時は悲しい気持ちではなく、とっても楽しい気持ちになったのを覚えています。
かわい〜。そして、上手いなぁ。かぶりたい!
でも、自分じゃもうかぶれないんですよね。
いつかもし、子供ができたら、かぶせてみたい!
そんな実現するかどうかも、わからない気持ちをいつの日かこの帽子に抱くようになりました。
帽子を見るたびに、未来を思い描いたし、あの時のおばあちゃんみたいな素敵な女性を目指したい。そう思える前向きアイテムになりました。
残念ながら、手先は不器用で細かい作業はニガテ。編み物や裁縫も全然できない私。おばあちゃんには近づけそうにもありませんが…
別れという悲しみを思い出すモノではなく、楽しい記憶を辿るモノ。
私にとってこの帽子は、憧れを思い出すアイテム。
これから先、
娘が成長してかぶれなくなっても
置いておくと思います。
使わないなら、スペースの無駄。
使わないなら、手放そう。
そんな話はよく聞きますが、
使わなくても、使えなくても
ただそこにあるだけで意味のあるもの。
パワーの源になっているアイテムは誰にでもあるはずです。
そして、それは本人にしかわからない。
世代を越えて、その存在を語り継げていけるのも「モノ」
「一生モノは手放し辛いからいらない。」そんな意見も聞きます。私もそう思います。でも「一生」ではなく、その先にも受け継いでいけるモノ。
って考えればすごく意味がある気がします。
実際に、娘も帽子をかぶるたび会ったことのない「ひぃばあちゃん」の存在を意識しています。
そして、モノを手放しすぎるとそんな大切な存在になるかもしれないモノも無くしてしまう可能性があるのです。
帽子は母がすぐに処分しなかったから、今こうして私にとって価値のある存在になっている。捨てられない体質の母に感謝です。
これからも、特に家族にまつわるエピソードが深いモノは、厳選して置いていけたらな。
そう思います。
「 もう1人のおばあちゃんのモノとの物語」
素敵な企画ありがとうございます。みうさんの記事はこちら▶︎【モノと向き合う】我が家にある一番古い思い出のもの。|ヨガとシンプルライフ