「大切」の違い
「明日予定通りまた片付けに行くね」
「あ、あぁ…」
iPhoneのスピーカーからでてくる父の声に迷いがある。
え、まさか都合悪くなったのかな。
モタモタしてると、計画どおりに進まない。
だって、もう2018は12分の1が終わったのだから。感覚値だけど、
家全体の50分の1も進んでない。
つまらない私用と重ねてきたなら、責めてやろう!
「なんかあった?」
と少し挑発的に聞いてみる。
「…お母さんがストレスみたいで、血糖値がまた酷く上がってて…」
父は片付けを、このまま強行するべきか迷っていた。
母が体調を崩したのは
先週出したゴミ袋の山の1つに、
学生時代の親しい友人が弟へプレゼンした「大切な」テニスのタオルが捨ててあるのを見つけてかららしい。
「お母さん、ひどく落ち込んでて…」
父の言葉を聞きながら、
「やってしまった…」
口に運んでいた炊き込みご飯が、急に喉を通らなくなった。
家族のモノを捨てるということは、
十分に注意しなくてはならない。
大切なモノは、その人にしかわからない。
これまで、あらゆる片付けや断捨離の達人たちが、声をあげて注意喚起してきたことである。
私としたことが。。。
早くもつまずいてしまったか。
やはり、母も立会いさせるのがよかったのか。
しかし
1畳分吸っただけで、ダイソンのゴミ受けがMAXになるくらい、掃除されていない。この先もする気配もない。
厳しい様だけれど私は、そこまでこの部屋を放置した人に、今回の片付けに色々口出しする権利は無いと思っている。
気になる様子で、
ちょろちょろ見物に来ていた母を捗らないという理由で、追っ払っていた。
何を残すか、決める権利は片付けてる人にあるんだから。と吐き捨てて。
一緒に片付ければ全てを置いておくと言うだろうし、ひとつひとつの思い出を延々と語るに違いないからだ。
私だって
きちんと考えてやっていた。
思い出深いモノはもちろん残しているし、
ゴミ袋に入れるときは、必ず父が目の前にいる時にして
最終判断は委ねていたつもりだった。
味噌汁で喉のつまりを解きながら、
あらゆる言い訳が頭の中を巡る。
「だから、しばらく片付けずに様子みようかと思って…」
父があきらめようとしている。
母は片付けない。のではなく
片付けられない。のだと思っている。
そしてその現実を見ようとしていない。
特に弟の部屋に関してはそうだろう。
いや、
ここで引き下がれない。
ひとつ間違ったくらいで、負けられない。
私だって悲しいのだ。
泣きたいけど、踏ん張ってる。
わたしはまず、この部屋に人が呼びたい。
友人、彼女、幼馴染、、お線香をあげにきてくれたら、ここに上がってもらって皆んなでお茶して、思い出の品を眺めながら、ああだったね。こうだったね。って、弟のこと、たくさん話したい。
わたしの「大切」は、そこにある。
母にもわかってほしい。
モノがいくらあっても、癒されないことを。そこに「人」がいないと分かち合えないことを。
父がやりたいことは、
私と同じだ。
結局、明日の片付けには、母も立会いさせること。
私はキツく厳しい目で、捨てていくけれど、父は母の気持ちに寄り添うこと。
(2人で責めない)
ということで、
話がまとまった。