実家の片付け 良かった変化と今後の課題
よし。2018は実家を片づけるぞ。
今まで見て見ぬふりをしてきた問題に取り掛かったのが1月の末。
スタートさせて、1か月強経ったところで、
- 手ごたえを感じていいる部分
- 壁にぶつかっている部分
の両方がでてきましたので記録しておきたいと思います。
手ごたえを感じている良い変化
はじめは全く片付けしていることに無関心だった母が、ちょこちょこ参加してくるようになったこと。
自ら動く感じではないけれど、それはまだ置いといてほしいとか、それは捨ててもいいわ。とか部屋に来て言うようになった。
これは片付けしていることを少しづつだけど受け入れてくれているのかな。と思える変化。
もう1つは、帰りに労いの言葉があったこと。父からはいつもあったけど、母は全然。もちろん言葉が欲しいわけではないから、そこまで気にしていなかったけど、前回の帰りに夫や娘に向かって言っていたのを見れた。
そう。わたしに言うのではない。けれど、わたしにはずっと言わないことぐらいわかってるから、直接言えない分家族に言ってくれてるんだ。と前向きに捉えておくことにした。
時間はあるので、平日にも通えば急ピッチですすむけれど、母と私の摩擦を考えて、あえて父と夫と一緒に作業できる週末だけに絞って進めてきた作戦は正解だったと思っている。
壁に当たってしまいそうなこと
それは、母が「片づけられない」んじゃなくて
「片付けたいと思っていない人」だということがわかってきたこと。
実家はTVやマスコミでよく登場している「汚部屋」のように、ペットボトルの飲みかけや汚れたままの食器が散乱しているようなことはない。「食品」もでてくるけど、そのほとんどが未開封の加工品のため、異臭や害虫発生は今のところない。基本的なことはできるわけです。
よく聞く、注意力が散乱していてすぐに散らかってしまうADHDなんかとも違っているような気がしていました。
それで気になって調べてみて辿りついたのが「ホーダー」という人たち。
日本ではあまり耳にしないけど欧米では結構いるらしい。
ホーダー(hoarder)とは
片付けたいのに片付けが出来ない「片付けられない症候群」とは違い、そもそも片付ける気が無い「溜め込み症候群」です。
らしい。
ネガティブではなくポジティブに散らかして溜め込んでいっているということ。
そういえば、母は小さな日用品や紙袋なんかでも、いつ頃にどこどこのお店でどんな時に買ったとか。もらったとか。ほんとに細かく記憶しているんです。最近はたまに忘れているものもあるようですが、それは単に加齢による物忘れなのかな。と。
ホーダーは「物」を介してすべての記憶や感情、音や香りもたどれるそうです。とくに物を通じてその時の嬉しかったことや幸せな気持ちを思い出すらしく、ホーダーにとっては「物」を捨ててしまう=過去のあらゆる記憶、感情を削除してしまうことになる。
これはなかなか難しいぞと。
わたしは、物を手放すとき心に記憶をとして留められるから、手放すことができることが多いし、写真や印象深いプレゼント以外はほとんどそのエピソードを忘れてしまうくらいに、物に執着がない。
そう考えると、もし母がホーダーだったとしたら(まだわからないけど)
かなり難航していくなあ。と。
自分がこれまで物を減らしてきたことが今役立っているところももちろんたくさんあるけど、
世の中には色んな人がいて、いろんな家族がいて、いろんな片付け方がやっぱり必要になってくる。急がず止まず、この課題は少しずつ前に進めていきたい。
写真は実家の玄関に生けられたシンビジウム。上からでている4本の淡いピンクの花は、なんと弟の四十九日に供えた花で11月から咲き続けている。もしかしたら片付けの行方を見守っているのかもしれない。