健康という名の幸福
ー 節分の夜に恵方に向かって 無言で丸かぶりをすると その年は幸福になれるという 昔からの言い伝えがあります ー
幸福になれる。なんて夢が叶うみたいに言うけれど、家族そろって健康でいることが、何よりの幸福。
だから幸福に「なりたい」わけじゃない。
幸福で「いたい」のだ。
パッケージに書かれていた文言を眺めながら、そんな屁理屈を考えていた。
せっかく実家に行ったので、
片付けた後にみんなで恵方巻きを食べようかと思っていたけれど、
帰ることになった。
昨夜の計画では、母にも片付けに立ち会ってもらう予定にしたけれど、
立ち会うどころか、今日の母は一切わたしと口をきかなかった。
さらに、祖父に当たり散らして怒鳴っている。
「やめた方がいい…ね?」
あまりに状況がひどいので、
昨晩は強気だったが、
これ以上は、無理な気がした。
やめて落ち着くなら、
その方がいい。
苦しめるためにやってるわけじゃない。
「やってあげる」感が少々強かったかもしれない。
綺麗な部屋でのんびり寛げる方が、
気分がいいだろうなんて、お節介だったのかも。
母の苛立つ足音を聞きながら、
父の顔をみた。
「いや、別にやめなくてもいい。片付けたいんや」
父はわたしに手伝ってほしいのだ。
結局、
捨てるものは父が母に徐々に確認しにいきながら、ゆっくりと今日の片付けは終了。
夕飯は
別々の方が、お互い落ち着いて食べられるだろう。
恵方巻き持って帰りなさいー
父の提案だった。
南南東。自宅のリビングの角を見つめながら考えた。
どっちが、正解なのか。
片付けしたくない、母の気持ちに寄り添うこと?
片付けたい、父の手伝いをすること?
わたしは自分の理想を押し付けてしまっていないだろうか?
だけど、綺麗にこしたことはないのでは?
無言の食卓が
答えが出ない状況を長く感じさせた。
家族みんな、健康だったら何か違ったかもしれない
健康だったら
健康だったら…
恵方巻きをかぶりながら
今夜は、そう思うしかできずにいる。