洗脳にならないための子育て
「違うと思ったら、言ってね」
娘とある程度意見のやりとりができるようになってから、話の終わりによく言うようにしているフレーズです。
私の意見だけが、偏って娘に浸透していくことが怖い。そう思っているから。
ずっと一緒にいるって幸せだけど、とても怖いことだとも思う。
ある意味「洗脳」かもしれない。
子どもは「正解」であることに敏感で、そしてその正解のお手本が親になる。
親からの情報は自分にとって正しい。
なんの疑いもなく小さな世界を過ごしている。
20代や30代になっても、親が言っていたことを信じてきたからこうなった。という人に会うことがある。
その度にこの人はいい大人なのに、人のせいにしているな。と嫌になる。
だけど、本人だけが悪いんじゃない。
親にも責任がある。
少しでも多くの経験や知識を、我が子に与えたいと親は思う。けれど子どもに与えるべきは、親が与えたものを「手放す方法」ではないだろうか。
人が何か得るときは、何かを捨てなくてはいけない。そのことに自然に気がつくには、時間がかかる。
子どもにより良いモノや人、情報が集まってほしいと願うなら、
親はまず、手放してもいい。と教える必要がある。
小さくても、早すぎることはない。
早ければ早いほど、自然にできるようになる。言葉を話せるようになるように、きっと身につけて行けると思う。
子ども一人一人が、親から与えられたものを取捨選択ができるのならば、
親はずっと与え続けられる。
与えることは決して悪くない。
循環させて、一番良いものを見つけいけばいい。
子育ての何が正解かわからない親にとって、子どもが自分で取捨選択してくれることが、一番いい答えにたどり着く方法なんだと思っている。
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