すみれの壺

青野すみれのブログ

忘れられないだろう光景

 

今週は子育て6年の間でも、1、2を争うくらい印象的に胸に焼きついた光景があった。

 

それは、娘が自ら勧んで私から離れていく光景だった。

 

小学生は自分で学校まで行く。

そんなことはわかっていたはずだけど。

 

少しずつ小さくなっていく後ろ姿。

なんとも言えない淋しさと、悦びと、安心が入り混じった気持ちと一緒に心に焼き付いて、忘れられない光景になった。

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じつは、昨年私の弟が亡くなった直後から、娘は少々心が混乱し、パニックになっていた。

私が目の前から見えなくなると、大騒ぎになったり、仕事にもついていきたい。そこまで本気で訴えていた。

 

私が強く咳をしたり、しんどいと横になることにも敏感になった。

 

娘にとって、私の弟が亡くなったことは、理解していた「死」とは全く違ったからだったと思う。

彼女の中での死というのは、人は年齢を重ねて、老いて、そして死んでいく。

そういうものだったから。

 

おいおいちょっとまて。と。

順番が違うぞ。と。

 

ということは?お母さんもいつ居なくなってもおかしくないってこと??

 

6歳の小さな経験と知識で、めちゃくちゃ彼女なりに考えたのではないかと思う。

口には出さないけど、そう思ってしまったからの行動だというのは、わかっていたので、

ギュッと抱きしめて、温かさを伝えて、

大丈夫。ここにいるよ。と安心させてあげることを繰り返すしかなかった。

 

幸いにも、赤ちゃんから通い続けていた保育園の存在が、娘にとって拠り所となってくれた。状況をよく知る担任の先生も抱きしめてくださり、ケアしてくださり、お友達と日々遊ぶ中で、この半年かけて安心を取り戻していけたのだと思う。本当に感謝でした。

 

小学校はそこから、離れ、親からも離れ、生活していく場所。

ようやく元どおりになってきたところで、不安がまたぶり返さないだろうか。と内心かなり心配はしていたけれど、

現状は、以前の彼女どおり。もしくはそれ以上のにパワーアップしているように見える。

 

幼いながらも、家族の死を乗り越えてくれたのではないか。

もしくは、まだ幼いから悟りが早かったのか。

 

わからないけど、娘なりに頑張ってくれたのだろうと思うと、涙が出る。

 

そんな気持ちや経緯もあり、今週見た、娘の小さな後ろ姿とわたしの感情はきっとずっと覚えているだろうと思う。

 

こんなこともあったなぁ。

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