モノは少なくても選択肢は多い人になってほしい
子どもからの呼び方について
「お子さんには何て呼ばせてる?
ママ?お母さん?どっちにしてるの?」
などと聞かれて、
別に決めてない。と答えると
「変わってる」といわれたりします。
呼び方を決めるのが正しい??
多数派=普通=正解なの??
私は娘から
「ママ」
「おかあさん」
「すみれ〜!」
と日々色んな呼び方をされていて
娘が言葉を話し始めた時にそれを正しませんでした。
主人に関しても同じです。
理由は単純で
呼び方を決めてしまうのは
もったいないから。
物事に関して
「こうじゃなきゃいけない」
っていう考えを増やして成長していく必要がないと思うんです。
呼び方の例でいうと
私への呼び方の選択肢をたくさん持って使っていることで
どんな場合でも、状況に応じて柔軟に対応できる能力が無意識に身についていくんじゃないか。
と、まあ根拠はないのですがそうしています。
正解は山ほどある
私が育てたいのは
ひとつの方法に失敗したときに
自力で立ち直れる力。
どんな環境でも生き残れる力。
ひとつのやり方が正しいと考えるから
失敗を意識しすぎて
諦めたり、逃げ出したり、止まってしまったり。。
そこにはやっぱり幼い頃から我々の身に染み付いてきた
「こうじゃなきゃいけない」
という感覚があるからかな。と感じています。
うまくいかなくても
正解は他に山ほどあるんです。
どんなやり方でも気にすることはないし、自分のやり方で、やればいいんです。
選択肢をわざわざ狭めたらあかん。
私が海外に行ったり、国際結婚したことでラクになったのは
自分が今まで「こうじゃなきゃいけない」って思ってきた事なんか、
世界から見ればこれっぽっちも意味がないことだって気付いたからでした。
正解ってなに?
普通ってなに?
そんなもんは自分で作ればいいんです。
それができないから
日本人は、自分の意見がない。とか
自己主張できない。とか言われてしまったりする。
日常生活でも同じ。
もっと若いうちにそれがわかってたら、どんなに生きやすかった事でしょう。
だから選択肢の幅をわざわざ狭めたたらあかん。狭めた考え方ばっかり身についてしまうと、将来きっと苦労すると思うんです。
最後に
私がしていることも
「正解」かどうかはわかりません。
これも私が選択しているひとつの方法に過ぎません。
常識や基本を伝えていくことももちろん大切。でも
「正解はひとつじゃない」
その気持ちが根底にあるか、ないかで
きっと変わると思うのです。
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