すみれの壺

青野すみれのブログ

春の長雨で思い出す弟のこと

「昼と夜の長さがおなじになったらなんでお休みなん?」

保育園で春分の日を覚えて帰ってきた娘。大好きなお友達や先生たちと離れる日が近づき、1日たりとも休みたくない。といった感じ。

雨だし寒いし、本当に園に行ってる方が楽しいでしょうね。

 

娘よ、今日はおばあちゃん家に片付けに行きますよ。

 

それにしても、関西は雨が続きますね。外も薄暗くて寒い。

長雨といえば、弟が亡くなった日から1週間ずっと雨だったことを思い出します。大雨ではなく、どんより曇り空が続き、気がつけばシトシトと降る雨。時折強くなったり、弱くなったり…。

 

家族を訪れてくれた方々は、口々に弟の「涙雨」だと仰いました。

最後まで、家族に何も言わなかった弟。

この雨がその心中を表しているのかと思うと、涙が止まりませんでした。

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そんな長雨が綺麗に止み、晴れ間が出た瞬間が1度だけありました。それは葬儀のある朝のこと。棺があった控室の上が天窓だったのですが、朝日が差し込んで、照らさる姿は本当に綺麗で忘れられない光景です。

 

前日の通夜式では、本当にたくさんの人たちに来ていただいていたので、もし、本当にこの続く雨が弟の涙なら、きっと皆んなへの感謝の気持ちを表しているんだろうな。と、また涙が止まらなくなりました。

 

そして、葬儀が終わるとまた雨。これは本当に悲しかったです。家族の肉体が目の前からなくなってしまうことは、本当にこれまでの喪失感とは、比べものにならないくらいの淋しさで、雨はもう止まなくてもいい。と思ってしまうくらいに。

 

気がつけば、雨は止み、仕事にも行き、忙しくこれまでと同じ毎日。起きたことを忘れている日があるの気がついたとき、あんなに悲しかったはずなのに。と自分を責めた日もありました。

 

だけど、こうして涙を流してまた思い出す朝もある。これからも雨が続くと、ずっと思い出すんだと思う。

 

思い出すごとに流した涙は、私の気持ちを強くしてくれている気がします。

 

春の長雨は「催花雨(サイカウ)」とも言うらしく、これから花を咲かせる植物にとっての恵みの雨。

流した涙も、心に染み渡り、やがて安らぎの花を咲かせることになりますように。。

 

別れと向き合うは続く。

 

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