すみれの壺

青野すみれのブログ

すべてを満たしてあげられる訳ではない。

何か新しいことをやりたいとき、

家をあけて、どこかへ遊びに行きたいとき、

 

礼儀として?マナーとして?夫にはひと言、確認するようにしています。

 

そんなの当たり前だ。という声が聞こえてきそうですが、これは自分のためにもよい習慣になっています。

 

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暮らし始めた当初は、許可を求めてお伺いたてていたんですが、毎回返ってくる返事は同じです。

 

「で、君はどうしたいの?本当に行きたいの?」

 

質問に質問で必ず返ってきます。今となってはもうお決まりなので、漫才のネタのような掛け合いですが、

はじめはそのひと言にハッとすることが、度々ありました。

 

「わたし、本当に行きたいんかな?」

「それ、本当にやってみたいこと?」

誘われた成り行きで、そう思っているだけなのかも。

環境に押し流されて、やりたい気分になっているだけかも。。。

 

彼のひと言で、立ち止まり自問自答。

もちろんそれで、実際にとどまったこともありました。

 

それ以降、なんとなく自分の気持ちの確認のためにも聞くのが習慣になったのです。

 

 

ある日、なぜそういうふうに言うのか聞いてみたことがあります。

彼の答えは、「やりたいこと、行きたいことを自分が制限する権利はない」と。

その代わり、私には本当にやりたい行きたいをしてほしい。

その理由は、自分だけでは私の欲求を100パーセント満たすことはできない。と考えているから。

 

例えばでいうと、

夫は2000年以前の邦楽を知らない。全然聞いたこともない。話題になったドラマや芸能人もわからない。(それ以降に日本に来たわけです)

それを一緒に懐かしんで盛り上がるのは、自分の役割ではない。と思ってるし、初めからなろうともしてない。

 

だから、私が学生時代の友人と飲んで騒いで夜中に帰ってきても、なにも言わない。

 

 

私たちはわかりやすいけど、これって、たとえ日本人同士でも同じだと思うんです。それぞれ相手に対して担える部分への限界はあって、あとの部分は、誰かが少しずつ補完して満たしてくれてる。

 

もちろん男女のことなので、日頃からの信頼関係があってこそ成り立つことだとは思うけれど。でも疑いだしたらキリがないんだから、信じていたらいいし。だまされるときは、お互い気持ちよくだまされてたらいいとも思っています。

 

 

夫のこの考えを聞いてから、自分も急にラクになったというか、相手の全部を満たしてあげられなくてもいいんだ。

って肩の力が抜けて、気持ちに余白を持ってパートナーでいられている気がします。

 

 ※写真は娘の作品。最近colorfulに仕上げるのがお得意ワザ。 

 

 

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