ブログを休んでから再開するまでの気持ち
ブログを再開して、10日ほど経ちました。
以前よりも自分らしく自由にかけているのでは。そんな気がしています。
今日はお休みしていた期間の心境や変化のこと。
写真はお休み中、沖縄での1枚
楽しく書けなくなっていた
シンプルな暮らしやモノが少ない暮らしはしているけれど、
それについて、なんだか楽しく書けなくなっていた自分がいたのです。
なんというか、感覚的なもので表現が難しいのですが、ナチュラルに文章にできないというか、作り上げてしまう感。
おそらく、あたらしい気づきがあったり、自分自身が心を動かされている瞬間がないと楽しくは書けないということでしょうね。
なぜか昔から極端に完璧主義(自分の中での完璧)なところがあって、同じ書いているなら役立つ内容を充実させたい。だとか、もっと見やすく、もっと読みやすく。だとか、気が付けば、どんどん読者の目線にこだわってる。そういうのは接客業を長年やってきた職業病なのかな。
「ミニマリスト」「シンプルライフ」というカテゴライズされる窮屈感も出てきていました。
自分が残していたいもの、表現したいものと、
感覚的に求められているものや、情報として文章。
その狭間に落ちてしまっていたという感じ。
過去記事への違和感
もともと、昔の自分を振り返って懐かしんだりするのが好きな方ではなく、どっちかっていうと、次にくることを考えてワクワクしながら生きるのが好みなので、
1年以上経った記事があることに違和感というか、自分で見ないんだからいらないんじゃん?とめちゃくちゃ記事を断捨離してしまいたい衝動に駆られたり。
そこで一旦、消したいものは消しました。
超マニアックに「すみれの壺」を見ている方は、お気づきの方もいるかもしれませんが、「すみれごはん」の記事はほとんど消しました。
食べたごはんがずっと残っていることに違和感がでてきたから。(レシピの記事は健在です)
やっぱり毎日のごはんは作っては消え作っては消えていく・・そういう存在なのがいい。
昔の自分がやけにポジティブで腹が立つ
春以降、家族のことで色々あり、心境・考え方の変化が大きくあった。
今振り返ると、少々無理をして「青野すみれ」をやっていた時期あったなー。って思います。
そんなややこしい自分をクリアにするために時間が必要だった。
しばらくお休みしたらなんか変わるんじゃない?そう思って休んだ一か月後、
書き始めたけど、あれ?まだ何か違うなって。
ぜんぜん1ヶ月では足りなかったみたいで・・
大切にしていきたい「文章」
しばらくブログをお休みしていて気づかせていただいたことは、
嬉しいことに、わたしの綴る「文章」をまた読みたいと言ってくれる方がいるということでした。何度かそういうお言葉をいただき、内容や出来栄えにこだわらず気ままに書いていいやん。そう思えました。
もちろん、少ないモノで暮らすスタイルはこれからも変わらないので、それにまつわることも書きますね。
なんてことないこと内容でも、
好きな文章だから、わかりやすいし、好きな文章に書いていたことだから印象にのこる。
学生の時に、好きな人が何をやっても、かっこよく素敵にみえたみたいに。
しばらくはそんなイメージを胸に更新できればと思います。
いつも読んでくださりありがとうございます。